昭和51年発行の、複数棋士の勝局の自戦記集です。
今は、引退している著者の将棋・発行当時の先端将棋を見る事が出来ます。
目次
1:若さの激突:対中原六段戦(当時六段)>2三歩型横歩取り
2:巨人に挑む初タイトル戦:対大山王位戦(当時七段)>対三間飛車・引角
3:一生に一度の名角:対二上九段戦(当時八段)>急戦矢倉
4:華麗なる寄せ:対加藤一二三八段戦(当時八段)>中飛車・対金立ち戦法
5:強襲を決める:対大山九段戦(当時八段)>対四間飛車穴熊・5筋位取り
6:挑戦権を賭けて:対桐山七段戦(当時八段)>中飛車・対3八飛
7:矢倉の新定跡:対中原名人戦(当時八段)>相矢倉・雀刺し
8:壮絶な一手争い:対大内八段戦(当時八段)>四間飛車・対左美濃囲い
9:盤上盤外の大決戦:対升田九段戦(当時八段)>三間飛車穴熊・対位取り
10:空中戦で仇をとる:対内藤九段戦(当時八段)>対横歩取り3三角
11:全勝街道をひた走る:対有吉八段戦(当時八段)>相矢倉・対雀刺し
解説:河口俊彦。
昭和59年発行の文庫版によります。
米長邦雄は、新四段で棋戦決勝に残った事があります。
そして、30歳でA級八段というトップ棋士になっていました。
当時の肩書きを見るとおり、本棋譜は昭和43年から昭和50年までのものです。
世代交代が、20歳過ぎの新名人の誕生で行われてきました。
しかし、多数のタイトルを奪取して、永世棋聖の称号も獲得したこの著者は、30歳台よりも40歳台の活躍が目立ちます。
また、自身が選んだ11局の多彩さも目立ちます。
いわゆる、オールラウンドの棋士なのでしょう。
当時の中心戦型のほとんどを、指しています。
プロ入りから、引退までトップであり続けた棋士であり、それが後半の40歳台で目立つのです。
本著は、まだその以前の30歳台です。
既に完成していたスタイルを、磨きながらも以降も発展しながら、次第にタイトルを取る事になります。
従って、あくまでも執筆当時に選んだ対局です。
引退後に、ならばどのような勝局を選んだのかは、別に大きな興味があります。
40年前の先端将棋の内容を見る事は、別の楽しみがあります。
現在では、指されなくなった戦型も多いです。
改良を加えられて、進化している戦型もあります。
1:横歩取り・2三歩型>現在は先手有利が定説で指されなくなっています。
本局はその過程の1局で、後手の米長が4二玉という新手を指しています。
その形は、先手の6八玉型であり、これは現在は最善手ではないとされています。
2:本局は米長独自の戦型で、当時も今も少数派です。
3:急戦矢倉は、歴代の棋士がそれぞれ挑戦しています。
現在も、異なる形で思想と別の戦型が指されています。
4:5:6:8:9:大きく変わったのが振飛車戦法でしょう。
持久戦や囲いの対策が進んで、急戦策が減少しました。
追い込まれた振飛車は、角交換型という大きな変化をしましたが、当時は全く予想外でした。
7:11:相矢倉は、改良を重ねながられんめんと指し継がれています。
本書の頃は雀刺しが多かった時です。繰り返し、登場しますが相矢倉はいつの時代かが判り難い戦型です。
10:流石の著者もこの空中戦法のその後は予想出来なかった様です。
相係り戦法で歴史上の最強の囲いと言われる中原囲いと組み合わされる事。
そして歴史上初めての5段飛車定跡の中座流8五飛の登場。
そして、5二玉型中原囲いの登場を経て、2012年現在のブーム的な戦型になっています。
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現・永世棋聖の米長邦雄の、昭和51年の著書です。
当時複数棋士で企画された、勝局の自戦記集のひとつ。
当時の先端内容と、泥沼流といわれた棋風が語られる。