2011年2月刊行
コンピュータ「あから」対清水女流六段の対戦のドキュメント。
機械と人間が競っても、何も面白く無いことは多くの事で示されています。
ただ、完全情報ゲームでコンピュータが、人間に勝ってゆく過程は興味が持たれている様です。
将棋は、脳科学の共同研究で、アマとプロとの脳の使い方が異なる研究が出始めています。
機械とアマとプロという3つの、思考方法がある事が、ちょうど力が接近している事から興味という形で見られています。
まえがき
第1章 日本将棋連盟への挑戦状
第2章 「知能」の探求
第3章 天性の勝負師・清水市代
第4章 「あから2010」と多数決合議制
第5章 清水市代女流王将vsあから2010
第6章 コンピュータが見せた「人間らしさ」
第7章 科学者たちが夢見る「アトム」
第8章 ロボットに「心」を宿らせる
第9章 「歴史的一戦」が遺した者
あとがき
機械と人間が競う事は、本質的に面白みはありません。
スポーツでも、思考競技でも、人間の体力・疲れ・ミス(ヒューマン・エラー)を含む戦いです。
疲れを知らない機械とは、根本的に勝敗の決まり方が異なるのです。
それでも、偶然にその力が交叉する時期は勝敗が興味を持たれます。
本書も著者は、それらの根本の部分があまり詳しくなく、主に興味で取材した内容です。
将棋には、プロ組織が存在します。
わずか160名の少数精鋭で、プロになれるのは極めて少数です。
その少数のプロの脳の思考の研究は、非常に興味があります。
ただ、人種・男女を問わない規定ですが、今まで日本人男性以外の棋士はいません。
女流棋士は、女性愛好家やファンの拡大を目的に作られた別のシステムです、他の競技でも女子の区別は普通です。
思考競技で、囲碁は女流棋士制度はなく、一部は対男性で5割以上の勝率とされています。
ただ、坂井碁聖は谷川九段との対談で、囲碁はプロの幅が広く引退制度がないので、600名以上のプロがいる。
結果的に強さも広い。将棋は弱くなると引退制度があり、結果は少数精鋭というシステムになっている。
囲碁もトップ150との対戦では、女流の成績は将棋と同じだろうと言っています。
今回の対戦は、1:女流棋士であり、棋士でではない、2:プロは得る目標を求めて対戦するが今回は勝っても次に何もない。
これらを考慮する必要があります。特に2は大きく、勝っても何も得ない対戦である事です。
簡単に言えば、イベント・お好み対局的な要素が大きいのです。
本書で清水が述べているように、これ以前はコンピュータ将棋に全く興味がなく、対戦前に詳しい人にレクチュアーを受けたとの事です。
人間とは異なる思考のコンピュータ将棋の研究は、プロはしないです。
対人間の棋戦で勝つ事が目標の棋士・女流棋士には、基本的に意味がなく時間の無駄となるからです。
ただ、イベントや興行的にはしばらくは、人気はありそうです。
結果は、清水が持時間の使用配分を誤るという人間的なミスで、終盤に時間に追われ敗れました。
人間が敗れる時のパターンです。
コンピュータの思考方法の進歩という興味も、人間のプロの思考方法という脳の研究とも関係ない次元の対戦です。
ただ、イベントとして成り立てばしばらくは続くと思えます。
残念ながら、本書はどちらも詳しくない人の一般的な人の視点での興味で書かれています。
むしろ一般の人の興味はどこにあるかが判る本といえます。
将棋の面白さは、人間の独創性と駆け引きとヒューマンエラーと思っている私には、コンピュータの思考方法の進歩のみに興味があります。
Copyright (C) 2011- kei All Rights Reserved.
※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。
将棋関連書籍・名著を探し・読む
コンピュータ将棋と、女流棋士の対戦。。
ドキュメントとして、双方の現状を書いた本です。
ただ、本質とは異なる所で止まっています。