内藤国雄 著 1977年10月
阪田三吉は、北条秀司原作の演劇「王将」のモデルとして芝居・歌等で有名です。しかし、あくまでも描かれているのは 架空の人物であり極端に人物像は歪められています。
将棋を知らない人は、実在の名前である事も知らず、将棋を知っている人も芝居の中の人物像が実際の姿と勘違いされて 伝わっている傾向があります。
将棋を知らない人やプロ棋士の存在を知らない人でも阪田三吉の名前は知っています。反面、その人たちの阪田・将棋・棋士 のイメージは芝居から持ったもので極度に実際と異なります。
「銀が泣いている」の台詞は有名ですが、具体的などの対局かは複数の説があります。
「阪田三吉、端歩もついた」は有名な対局ですが、現在では評価が変わってきています。
「香替わりの飛」も実際の棋譜を見れば、奇をてらった指し手ではない事がわかります。戦法に名前を残す「阪田流向かい 飛車」は現実には阪田の対局には存在しないに近いです。女房の「小春」は実在は「こゆう」ですし、芝居上の人物ではない 棋士阪田三吉の人間像と棋譜を伝えたい思いで本書は書かれています。
逆にいえば、その思いが強くて阪田側から見過ぎている傾向は避けられません。師匠・弟子の関係で繋がってゆく世界ですので 弟子が師匠の棋譜と系統を守るのは当然であります。阪田は、星田・藤内のふたりしかプロ棋士の弟子を持たなかったうえに このふたりの将棋界での活躍は少なかったと言えます。しかし、藤内は多くの弟子を育て、高嶋・内藤・若松・淡路・小阪・ 森安秀光・森安正幸・酒井のプロ棋士が活躍し、4名がトップランクのA級に登りました。
孫弟子の台で一門が花開いたわけですが、現在は曾孫弟子(内藤>神吉、若松>谷川・井上・藤原、淡路>久保)が活躍して います。まもなく、その弟子も誕生するでしょう。阪田一門は大きな一門として存続しています。
内藤の阪田三吉像は、「将棋一筋」「子供みたいな人」「礼を知る人」「主張を貫く人」「至高の人」「名言の人」 「将棋を愛した人」「愛される人」であり、将棋は「独創の将棋」「偉大な棋士」「将棋の心を得る」となっています。
本書は対局集であり、勝局も敗局も含まれています。また、駒落ちが多いのも阪田の時代の傾向をそのまま表しています。
「銀が泣いている」は大正2年4月の対関根金治郎との香落ち戦としています。最近の他の記述でも、ほぼこの局に固まり つつあるように感じます。
これも有名な「角頭歩つき」対大崎熊夫戦の香落ち・大正9年10月は、内藤は従来の阪田のミス説ではなく飛香落ち定跡を香落ちに 応用したのではないかと推察する。
「天降りの名角」も有名ですが、これは大正9年10月の対金易二郎戦の香落ちで、同時に香落ちで1二飛と廻った後で1一飛と引き 飛が香になったと言われた局でもある(他にも1一飛の棋譜は残っている)。夜中に目がさめた時に将棋盤から角1枚だけだ出ていて 光っていたとの述懐から「天降り」は来ているとされています。
平手の後手番の2手目に「端歩を突いた局」は有名な対木村義雄との南禅寺の対局(9四歩)・昭和12年2月と、対花田長太郎との 天龍寺の対戦(1四歩)昭和12年3月<本書には未収録>です。内藤は前者については、阪田の自信程度しか見解を述べていない。 長く謎とされ、阪田の衒い的な意見が多い。
序 わが大師匠の事
対局集 20局
詰将棋 30番
阪田の評価は、長く低すぎたと思いますが関西流の力戦で序盤戦術は苦手と言われています。歴代実力者の中でも序盤が 不得意との評価は今も変わりません。しかし、無意味な指し手との憶測は現在では見方が変わっています。
「香になった飛」は当時からも評価は高く、1三歩のたたきを避け、3三桂から5筋方面に展開する構想です。
「「3二銀」「2四歩」も、現在では数は少ないものの実際に応用されています。得か損かのレベルの手で、全く意味の 無い手との評価ではありません。
「2手目の端歩」は長らく悪手とされて来ましたが、2−3年前からプロ棋界で「後手1手損戦法」が登場してから 早い端歩突きは現在では、大きなテーマになっています。2006年から「将棋世界」誌に連載されている「トップ6棋士 の夢の競演!イメージと読みの将棋観」の連載にもとりあげられました。その内容は、「元々の後手の損が拡大する程の 悪手ではなく具体的にとがめにくい」でした。長らく悪手と言われ続けていましたが、現在は大きく変わっています。
十三世名人関根金治郎が引退後、実力制の名人に移行して現在に至っています。その過程で制度の移行で名人になれなかった 人物として、阪田と土居市太郎が上げられます。阪田は関根に勝ち、土居は阪田に勝ったが、実力名人戦が始まった時には 指しざかりを過ぎ、木村義雄が名人になりました。
阪田は2期まで名人挑戦リーグ戦に参加して指し分けの成績を取り、のち引退しています。年齢を考慮するとやはり相当の 実力があったと思います。
阪田の力戦と独創の将棋は、関西流として今も受け継がれています。研究の東と実戦の西の傾向は、平準化した現在でも 底流として流れています。
芝居ではない、棋士阪田三吉は現在の将棋にも生きていると言えます。
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