宮内悠介
デビュー4年で著作も少ないとあらば、昔なら個人情報はほとんどなかった。
今も著書や、受賞時の紹介に留まる。
それも、履歴書レベルで、受賞・候補の羅列です。
「盤上の夜」という短編で評価された。
そして、短編集「盤上の夜」で再度、違った評価をされた。
そして、次第に作者の思想が見えてきたとするのが一般的な見方だ。
盤上の夜
本作が表題の作品集を指しても良いし、短編のみを指してもよいでしょう。
ここでは、作品集を取りあげる。
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盤上の夜
題材は囲碁、石を持てない少女と代打ちする師匠の姿を描く、何を目指すのか。
人間の王
題材はチェッカー、コンピュータが完全解が見つけた状況を描く。
清められた卓
題材は麻雀、完全情報でないゲームが登場する、賭博性があるとも言われる。
象を飛ばした王子
題材はチャトランガ、将棋やチェスの起源とされている。
千年の虚空
題材は将棋、コンピュータと将棋を扱う。
原爆の局
題材は囲碁、再度「盤上の夜」の登場人物が出る。
感想等
短編「盤上の夜:はSF新人賞受賞で登場し、直木賞候補から日本SF大賞になった。
だからSFとしているが、個人的には作品集となった以降も、個人的には正体不明だ。
まずは、実在のゲームをを取りあげている、もっと自由なゲームを取りあげる事の方が多い。
むしろ広大な世界をまるでゲームの様に扱うSFが圧倒的だ。
人間が作ったゲームの中に何を見つけるのだろうか。
偶然性がはいらない、完全情報ゲームは特殊かも知れない、能力が上回る者が圧倒的に優位だ。
人はそれを憧れるが、コンピュータが登場し状況が変わった。
恐怖と疲労を持たないその機械は、人間の弱点を持たないので、人間を上回る可能性が高い。
そして行き着く先に、完全解が存在すると結論が出る事が終わる。
もし人間に、ミスや疲労が無ければ、ゲームは終わる。
現実は、人間単独でコンピュータの結論を再現出来るかは不明だ。
中に、偶然が関与する麻雀が取りあげられている、作品集で唯一だが、そこに統計と運がかかわる。
そして、なぜ賭博性・・・賭け要素が入る余地が高いかが描かれる。
ゲームの誕生=チャトランガ、完全解を追求する=盤上の夜、コンピュータとの共存を探る=千年の虚空。
完全解の発見=人間の王、と進む。
辿りつく先は、哲学の世界なのか統計の世界なのか、完全解という一応の終わりなのか。
何故かチェスという、チェッカーと将棋の間の状況のゲームが省かれた。
代わりに、「原爆の局」が結論とは言い切れないが、まとめ的に書かれた。
あくまでも作者の世界的にであって、読者の世界ではない。
哲学や統計や偶然や人間の能力と弱点、人間が作ったゲームがいつしか1人歩きする。
それに終わりはあるか、あるとすればその理由は?
仮定が入るからSFなのだろうか?