北野勇作
専業作家という人は多くないです。
SFのジャンルでも、ファン層が広がった現在でも、同様です。
専業作家というリスクは、かなりの賭けでしょう。
歴史は繰り返し、出版不況や、新人賞ブームとなれば、入り口は広く、消えるのも多いです。
そもそも本が娯楽で読まれる量が減っています。
このような時代には、兼業作家が再度増えます。
ただ、兼業でも小説以外の作家・文筆家との兼業は、もう作家扱いでも良いと思います。
北野勇作は、本業が何か判断が微妙ですが、小説家は一面です。
かめくん
本作は、2001年の「日本SF大賞」受賞作です。
従って、SF小説の好作には間違いありません。
ただ、作者自身の小説が少なく、作風やジャンルを本作のみで語る事になります。
他の署作物の、台本類を含めても明確ではないでしょう。
本作自体も、初版刊行後、10年以上後に別装丁で漸く復刊になりました。
本作の紹介では、「空想科学超日常小説」となっています。
日常生活のなかに、ヒューマノイドのレプリカメの「かめくん」が増えた世界です。
冒頭からレプリカメ自体は認知されているようですが、住みやすい環境ともいえません。
そして、「かめくん」自身もあまり知識がなくて、勉強と生活に慣れてゆくという展開です。
そもそも何故、カメ型なのかから謎です。
感想等
日常に、少し異なる存在がある設定は小説や色々な表現で使用されます。
実生活では、留学とか、病気とか、有りそうですし、超能力というSF的な決めてもあります。
あまり考慮されていない、日常環境に異なったものが入りこむ時に何が起きるかのシュミレーションです。
ちょっと、深く考えれば何かのパロディともとれます。
何か深い思想に基づくものかもしれません。
人間社会と、ロボットとの共有はしばしばテーマとなります。
隠れていて、意外性で終える手法や、はじめからの設定でシミュレーションするものが多い。
また、超能力を使用したアクションやミステリ風は、かなりのファンがいそうです。
ただ、超能力は人間社会に受けいれられ難いとの認識の作品も多いです。
本作の「かめくん」も存在は認知されている様ですが、差別や虐待の対象ともとれる部分があります。
従って、夢の産物としての存在ではなさそうです。
人間が、生活習慣の異なるものを受け入れにくい事を描いているというのが感想です。
しかし、それは日常でも存在し、ダイレクトに描くと思想小説の性格が強く出過ぎるでしょう。
それを防ぐには、ユーモアが一番でしょう。
本作全体に流れるユーモアは、持ち味なのか確信犯なのか実は微妙です。
名探偵や、知識人とかも超能力とどこが違うか、ロボットやコンピュータは人間生活に自然に入り込めるのでしょうか。