蘭郁二郎
大正2生まれで、昭和19年事故で死去です。いわゆる戦前・戦中派です
制約の多い時期の作家で、残された作品は時代を考慮するべきと考えます。
ただ、その時期の作家としては多数の作品を残しています、逆に現在は不当に評価が低いとも言えます。
作品の多くは大衆小説・少年小説ですが、それ以外もミステリー・幻想そして、科学小説とあります。
どれが作者の主流かは、制約のない戦後には生きていないので、あくまでも結果としての発表作で評価されます。
すると、大衆小説・少年小説のイメージが強く、それらも復刊されて不思議はないですが、それ以外の復刊・評価も妨げているようです。
この作者が本格的に作家活動を始めたのが、昭和10年頃ですから、作家時代も短いです。
そして、その作家活動開始直ぐに、作風に科学小説が加わり中心となって行きます。
この内容は、制約に時代の要請で海野十三と似た歩みになります。
いわゆる軍事科学小説であり、少年小説です。
科学の内で、軍事武器の発明が多いのは、まさしく時代の制約です。
それを幻想的な表現やストーリーで、科学を広めようとしたと見ますが、多いのはエネルギーや色々な生活場所を取りあげた事でしょう。
幻想的に当時の科学技術がどの様に発達して、どの様な事が出来るかを描いたと言えます。
それは予言かと言われると、空想科学小説はその要素はありますし、その後の科学の進歩と比較する事の意味のあいまいです。
ただ、未来を見た考え方が存在した事は疑いはありません。
火星の魔術師
本作が表題の作品集を指しても良いし、短編のみを指してもよいでしょう。
作品集の場合は、全てが科学小説ではない事は、その活動の網羅という面から当然です。
火星観測から、火星の生物が話題になり、火星の運河の正体を話題にします。
ふと気がつくと、周囲が別の世界に感じますが、進化栽培での地上の花で、そこから染色体の話しへと移ります。
そして、ミステリー的な展開になって行きますが・・・、省略します。
これが戦前かと思う、幻想表現の科学小説のです。
感想等
蘭郁二郎の、作品リストを見るとその多さに驚くと同時に、現在入手できるものの少なさにも驚きます。
新しい物が増え続けていますから、全てを期待するのは無理でも、あまりに寂しいです。
団塊の世代以前は、少年・少女向き雑誌と、小説が多数ありました。
それが、漫画・コミックに移った事自体は、色々な要素が混ざっています。
問題は、そこでどの様な内容が書かれているか、読まれているかでしょう。
未来科学小説が、科学の啓蒙と、宇宙への夢から広がりました。
幻想も空想も、実現していない科学技術とそれを描いた小説類は、教科書にはなりにくいです。
そして、教科書は過去の成果を知識として提供し学ぶ事になりますが、それも重要です。
同時に、空想・幻想そして、楽しみながら科学技術で近未来を予想した事を読むのは有益です。
ノンフィクションやドキュメントや教科書では、表せない内容は無数にあります。
娯楽の少ない時代の、海野や蘭の業績は、複数の面を持ちました。
その両面で、評価するにはまず作品が読める事が必要です。
科学が発達した故に、今はもう同じ事は書きにくいでしょうし、それぞれの時代の作品は意味があります。
膨大な現在の情報社会でも、蘭の時代の科学小説は生きていると考えます。
戦争は多くの死者を産み、その犠牲で戦後の活動を消された人のひとりですが、作品は生きています。
それが、読める状態を望むのです。
同時に、現在では、海野や蘭が果たした役割を何がしているのかを考えてしまいます。
手塚治虫の作品群は、誰が継いでいるのか、科学啓蒙書は如何に継承されているのか。
そして、それらはどの程度読まれて、どの様な影響を与えて居るのでしょうか。