ホルヘ・ルイス・ボルヘス
アルゼンチン出身でヨーロッパ留学後に帰国した作家です。
何も判らないと、前衛と言うがボルヘスも同様に呼ばれます。
世界に名前と作品が広がったのは、1944年でなく英訳が出た、1962年です。
その特異性は色々に表現されるが、適当な表現に困ると「前衛」とか「イマ二ゼーション」とか言う。
「伝奇集」は短編集だが、とにかく短い、掌小説というべき内容です。
前例が無いと言われたが、「前衛」的なものは他にも存在するが、それぞれが独自です。
このような作風は、後発の多数の作家の世界に影響を与える事になります。
「前衛」的なものがSFかどうかは、色々な説があるかも知れません。
ただ、SFの世界の作家にも大きな影響を与えた事から、その分類もあります。
作者本人は、たぶん狭い特定のジャンルを意識していないと思えます。
伝奇集
第1部 八岐の園(1941年)
プロローグ
トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス
アル・ムターシムを求めて
「ドン・キホーテ」の著者ピエール・メナール
円環の廃墟
バビロンのくじ
ハーバート・クエインの作品の検討
バベルの図書館
八岐の園
第2部 工匠集(1944年)
プロローグ
記憶の人・フネス
刀の形
裏切り者と英雄のテーマ
死とコンパス
内緒の奇蹟
ユダについての三つの解釈
結末
フェニックス宗
南部
感想等
独自の世界という表現は、それ自身が世界を作っているがそれ自体で閉じている場合に適当でしょう。
閉じた世界と言えば、「哲学」と「数学」の世界です。
それ故に例えば、チェスタートンとの比較もされています。
ただ、ある一面に限られ膨大な業績全体とも言えないです。
閉じた世界は、読者にとって「迷宮」とも言えます。
作者に誘われ・導かれて、どこへ行くのか、あるいは進んでいないのか判らなくなります。
今思えば、理系人間で文学読書歴が少ない者が、25歳で読もうとして挫折しても、笑えない事です。
それ以外の「汚辱の世界史」のほうがまだ近づけたのは、偶然でばいと感じます。
そもそも、ナビゲーターがないと近づきがたい世界ですが、翻訳者の篠田一士氏がボルヘス作品に訳注はつけられないとしているくらいですから、
もう好きに迷えと言われているごときです。
「プロローグ」は作者の作品案内の筈ですが、どうもそのように素直な内容に思えません。
言語と百科辞典制作の謎から、偶像発見から未知の国へ入ってゆくという、第1作からもう独自世界へ誘い込まれます。
以降も、夢とか図書館とか、無限とか、完璧とかが続き、いうは簡単?、理解はたぶん不可能に近い事が続きます。
奇想・パロディ・逆説とか、他と結びつける言葉を探しますが、最後は独自の閉じた世界で妥協する事になりそうです。
理解を超えた読者は、判らないというよりも「独自の閉じた世界」というほうが耳に優しいです。
結局は、またいつか読破すると思ってしばし、離れて行きます。
いつか、理解出来るかも知れない小説の世界・・・作品が短編故に、また読んでやると思わせると感じます。
これが長い作品ならば、自分には合わないといって去って終わりになりそうです。