光瀬龍
1928年生まれ、1961年デビュー、1999年死去の日本SF界の牽引者のひとりです。
詩人であり、多岐のSF小説の作者であり、ジュブナイル小説の作家であり、それ以外にも多くの分野に関連しています。
本サイトも、時間監視人シリーズに継いで2度目です。
まだいくらでも、異なるジャンルの作品があります。
宇宙叙事詩とかスペース・オペラとか、いわれる分野もそのひとつです。
そして、その分野での日本での牽引者でありその特徴は、日本のSFに影響を与えました。
それをしばしば、東洋的無常感と言います。
進歩してゆく世界を描いても、いつかは衰退して滅ぶ・・無限に発展はしないという思想です。
それゆえ哲学的とも、何かに支配されているとも、それを神と呼ぶのかとも色々と推察されています。
それを故に、神話という見方もあります。
たそがれに還る
3000年の未来に起きた事件、宇宙船の行方不明とそれが太陽外生物が絡んでいるという説もあった。
宇宙に歪みが生じているらしい。
また主人公達は、荒廃した幻想を聞く。
会議が開かれ、主人公はその後で昔から予知していたグループに出会う。
それに従い調査して、サイボーグ・星間文明戦争の存在を知るが、それよりも大きい力の存在にも気づく。
破滅をもたらしたものは何か?。
そして太陽系が歪みが強くなる。
太陽系外に出て行った者は、巨大なエネルギーを受ける事になる。
感想等
長編の宇宙叙事詩と、短編の宇宙年代記のシリーズは、文明の進化と逃走と滅亡とを省いては語れません。
それ故に、それは、膨大な時間と空間のスケールに拡がります。
何故という問いに答えようとすると、人間のあるいはどの文明も及ばぬ、巨大な力の存在にたどりつきます。
それはもう、哲学的・神学的とも言われます。
SF小説という形の、別の思想書かもしれないとも言われるゆえんです。
短編の宇宙年代記のシリーズは、場所と年代とが題名になっています。
それらを時系列で読むことによって、長編の宇宙叙事詩と似た思想にたどりつくとされています。
長編の宇宙叙事詩の代表作は、「たそがれに還る」「百億の昼と千億の夜」「喪われた年の記録」です。
どれも作品も、その中の時間も空間も長く大きいです。
その中で最初に書かれたのが「たそがれに還る」であり、もう既に難解な思想が展開されています。
複数の文明の戦争と、滅亡の繰り返しが起きて来た事。
文明の発達はいつか、他の文明との出会い・衝突・滅亡へと導かれる事、それが何によるか不明な事です。
逆らっても、避けられない滅亡は、また新しい文明が生まれると考えるか、滅亡を絶望と考えるか?。
そもそも、宇宙叙事詩というSFにその様な膨大な思想が必要かどうか、あるいはそこにたどりつく必然があるのでしょうか。
読者が通り過ぎるのか、立ち止まってしまうのかさえ判りません。