遺跡:関西エリア・いつか訪れたところ

井伊直政と彦根

2016年12月21日

地域のゆかりの人物のドラマ化の誘致運動があるという。

ドラマになると、観光客が増えると期待する。

町おこしだが、便乗商売とも言える。

真田幸村で各地が名乗りをあげたが、放送2回の九度山のようにドラマではマイナーだった地もあるが、それ以前に話題になれば目的は同じようだ。

静岡周辺の井伊直虎はあまり行動範囲が多くないが、勝手に関連場所で、直政・直弼で有名な井伊家の徳川時代の彦根は知名度は高い。

交通の便が良くて建築物や資料も残っている場所は、マニア以外でも楽しめる。

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都跡遺跡の発見情報

2015年10月12日

関西には、著名な平安京や平城京以外にも多くの遷都遺跡がある。

多すぎて、発掘も研究もきりがないくらいだ。

しかし、折りにつれて報告がある、発掘調査だったり造成工事中の発見だったりする。

一体どの程度あるのかは、専門家でも判っているのか微妙だ。

そもそも建築計画案、建築途中中止、破壊などが混ざるので伝説と神話が混ざる。

遺跡といっても、余程興味と知識がないと、何もないに近いので、見学に行く事はほぼない。

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淡路島で銅鐸発見

2015年05月25日


兵庫県南あわじ市で、祭祀などに使われたとされる銅鐸が見つかり、県教委が発表した。
紀元前3-2世紀とされる古式の銅鐸で、他では加茂岩倉遺跡(島根県雲南市)・大岩山遺跡(滋賀県野洲市)・桜ケ丘遺跡(神戸市)のに次ぐ数だ。

専門家は「数10年の大発見」としている。

銅鐸は砂山から見つかり、集めた土砂からで正確な出土地は不明という。

松帆銅鐸と名付けられた。

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石田三成と佐和山

2014年11月03日

彦根と湖東は、石田三成ゆかりの地だ。

前者は居城・佐和山があったし、後者は生誕絡みだ。

だが、敗者は歴史から消えるので、豊臣秀吉の長浜や井伊直政の彦根よりはマイナーだ。

浅井長政の小谷城もマイナーだ。

遺跡地図には載っているが、麓までしか行かない。

まあぼちぼち変わるが、似た事は多い。

滋賀には歴史での登場は多いが、非常に残っていつのは偏りが大きい。

やはり、遺跡が残っていないと歴史も薄れる。

勝者が敗者を消すのだろう。

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小谷城跡

2013年09月16日

滋賀県長浜は豊臣秀吉の出世城で有名です。
現在の湖そばのものは流石に後世の建設ですが、平地の城になった。
その前の、浅井家の小谷城は完全な山城です。
城跡である事と、あまり便利でない山城という事で、観光的には大きな差が生じています。
もともとは、城は砦なので、険しい山か、川や湖か海に面した水城が主流だった。
それが、城下町になり商人を集めるのは織田・豊臣の頃からです。
それ以降は、都会に残る事になったのです。

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樫原考古学研究所

2012年09月24日

橿原は実質的な奈良の中心の橿原市のやや外れにあります。
この付近は、JRと近鉄線のローカル線と本線が入れ混じっています。
時刻表は次善に注意しましょう。
飛鳥(明日香)文化の出発点にあたる場所にあるのが、この研究所です。
飛鳥を散策する人は、最初によりたい場所です。
全体の地形・古跡や映像での紹介や展示が、建物の内外にあります。
展示の変更も多いので、詳細は度々変わります。
直ぐ付近から、色々な史跡があります。
ただし、広い面積に渡りかつ全てが道路完備ではないので、歩いて散策がお薦めです。

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平家物語のゆかりの地

2012年01月16日

テレビ等で「平家物語」「平清盛」ゆかりの地の紹介が始まっているようです。
たぶん、西日本全体に拡がるのかも知れません。
直ぐに浮かぶのは、広島・山口と京都と兵庫です。
兵庫県神戸市の兵庫(地名)付近が、該当するらしいです。
ひょっとすると、都が出来ていた可能性もあると言われています。
色々と遺跡はあると思いますが、意外な程に意識して訪ねた事はありません。
地理的に、付近に行った事は多数有るはずですが、目的が違うので気づいていないです。
これから、そこに何かがあったと気づく事が多いと思います。

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遷都予定地跡

2011年08月08日

奈良・京都・滋賀付近には、歴史的にはマイナーな遷都跡・予定地跡があります。
何故に工事途中で中止になったかは、歴史上の謎であったりしますが、一応の理由は残っているようです。
ただ、同じ関西人でもほとんど知らない所ばかりです。
しかも、発掘も規模が少ないし、工事途中というのも規模がはっきりしません。
そもそも、中止になった所の、歴史的重要性自体が、はっきり判らない面もあります。
ただ、工事や発掘で、昔の遺跡が出るのは当事者は微妙でしょう。

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近江・大河ドラマ

2011年02月14日

テレビの大河ドラマの関連地は、色々イベントを計画する傾向があります。
今年は、近江の東生まれの、浅井三姉妹の末っ子の話です。
小谷城は観光名所から離れている様で、秀吉の初めての居城・長浜が湖岸の便利な所にあり観光名所です。
あとは、琵琶湖を巡る大阪・大津・福井などが舞台となります。
京都・大阪と江戸との間の要所として近江は戦国時代の主要舞台です。

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巻向古墳:卑弥呼?

2011年01月24日

考古学的対象になって、やや静かになっている邪馬台国です。
大和説が現在の主流ですが、意見は色々です。
そこで、また登場したのが「巻向古墳」です。
色々な生活物資等のあとが発見されました。
再度、盛り上がる卑弥呼の姿です。
また、機会があれば訪れたいです。
まだ、田舎の風景地域ですから、冬はやや厄介です。

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斉明天皇陵発見か?

2010年09月12日

古代史は資料が少なく異説があるのは多いです。
斉明天皇陵と考えられる墓が、発掘で表面化した事は時々あることです。
積極的な反対意見はまだ無いですが、必ずしも積極的な賛成意見ばかりではありません。
ごく普通の正常な状況です。
既に、宮内庁認定??の同天皇陵があり、こちらはもっと慎重です。
宮内庁認定の有無の差は、立ち入り禁止が明確な事です。
認定でなくても、どこかの所有物だから、勝手にはいってはいけませんが、認定陵は非常な拒否感が近くから漂います。

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古墳の航空レーザーで高精度測量図

2010年06月27日

航空レーザー計測で、前方後円墳2基の高精度の三次元測量図が作られた。
今回の対象は、御廟山(ごびょうやま)古墳(堺市、全長200メートル)と、コナベ古墳(奈良市、同204メートル)でいずれも陵墓の可能性がある陵墓参考地。
航空レーザー計測は、上空からレーザー光を照射し、地表で反射して戻る時間から高低差などのデータを得る方法。
地震による崩落現場の状況把握などに使われていたが、今回に初めて古墳の計測に使用された。
古墳以外にも、色々な応用があるとしています。

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北伊勢は藤堂家の城下町

2010年05月30日

北伊勢というと、伊賀の忍者を思い浮かべる人もいます。
戦国時代は、たびたび領主が変わる地域でしたが、江戸時代は藤堂家が長く治めています。
盆地が飛び飛びにあり、分家の屋敷が今も残っています。
残っているものからは、当時の規模や反映ぶりを予想するのは困難です。
中規模の集落が点在する地形は、治めるには不便だったのでしょう。
意外な所に、旧武家屋敷が残っています。

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箸墓古墳再び

2010年04月18日

邪馬台国・卑弥呼の墓探しは盛んです。
邪馬台国論争が、文章の解釈から考古学の世界に移ったからです。
西の吉野ヶ里遺跡、奈良の箸墓古墳はその中でも注目度が高いです。

箸墓古墳は、たんぼの中に普段は静かにありますが、時々休日に人が訪れる事があります。
近くに幾つかの古墳もあり、散歩道もあります。
電車は便利といえないし、自動車も止める所は少なく、違法駐車が増えそうです。

橿原周辺・桜井周辺・巻向周辺は時々話題を集める所です。

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滋賀県近江八幡市安土町

2010年04月10日

織田信長の居城・安土城で名前の有名な安土町は、平成の大合併の最後に近江八幡市と合併しました。
安土町は、安土の名称を残す事に拘りすぎて、たびたび合併が中止になり遅れました。
最初は、能登川・五箇所・安土の合併ですが、市の名称スキャンダルで直前に中止になりました。
他は、東近江市になり、安土は他との合併に動きましたが、安土は最後まで名称を残す事に拘り、日程が延びました。
JR安土駅前に資料館がありますが、実際の城跡とされている所は近江八幡市のはずれ、東近江市と隣接する位置にあります。
城跡はまだ訪れていませんが・・・。

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卑弥呼の都か?

2009年11月15日

邪馬台国の「九州説」「大和説」は昔の古文書解釈から、現在は考古学研究になっています。
前者の時は、色々な説が続出しました。
最近は、考古学ですからしばらく新説は出ていません。
そして、やや大和説が主流のようです。
その中で、巻向遺跡群で、かなりの規模の町の遺跡が見つかりました。
俄然、邪馬台国の都・卑弥呼の都との説が浮かんできました。
地図で見るとJR駅のすぐそばです。
ただし、列車の数は少ないですが・・・。

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茶臼山古墳

2009年10月25日

茶臼山といえば、徳川家康の大阪城攻めに登場しますが、地元の人には天王寺付近といった方がわかりやすいです。
古墳がある事は聞いていましたが、あまりにも身近のため訪問はしていません。
その周辺は、数限りなく行っているのですが。
その古墳に落書きが見つかったとのニュースです。
大阪の施設は、落書きがおおいですが、本当にこまった事です。
復旧が困難という事は、重大な破壊活動となってしまいました。
なおれば良い訳ではありませんが・・。

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佐和山城

2009年07月25日

滋賀県彦根市は、徳川幕府の重臣・井伊家の町です。
初代の井伊直政と、幕末に暗殺された井伊直弼で有名です。
歴史家には、井伊直政の研究者が多いようです。

彦根城から、南東の方向を見ると小高い山があります。
自然環境といった雰囲気です。
その付近に、石田三成の居城・佐和山城があったと言われています。

歴史は勝者が作るといっても、石田三成は無視というのはどうかと思いました。
その付近に、城跡ではないかという遺跡が一部見つかったと報道されました。

彦根から少し北東にゆくと、長浜があります。
豊臣秀吉の最初の城であると共に、浅井家が納めていた所ですし、石田三成の誕生の地でもあります。
徐々に敗者の遺跡も目が向けられるようです。

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箸墓古墳は卑弥呼の墓か?

2009年05月30日

古くは文献解釈の世界だった、邪馬台国論争は、いまは考古学の世界になっています。
従って思いつきの新説は影を潜めています。
奈良・明日香の箸墓古墳は、以前から卑弥呼の墓説がありました。
今回、出土品からより可能性が高くなったという事です。
考古学は、どこまで行っても終わりはありませんが、不明より可能性の証拠がある方が関心は深くなります。
もっとも、内部は立ち入り禁止ですが・・・。

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邪馬台国・畿内説

2009年03月21日

邪馬台国は、「九州説」「畿内説」の双方あります。
以前の文献解釈時は、プロ・アマ含めて異説大集合でした。
現在は、考古学の問題になっており、新設は激減しています。
実証する発見が伴わないと、新設も意味がないからです。
飛鳥・巻向古墳の調査で、より調査が進んだ報告がありました。発掘担当は、大きく成果を求めますが、「九州説」「畿内説」の双方共に、確定するには不充分という冷静な判断が多いです。
そう想像より、実証の世界に来ているのですから、結論を急ぐ理由はないと言えます。

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彦根

2008年11月15日

滋賀の湖東の彦根城の天守閣は、基本は立て替えが行われていない建物です。
城はその性格上、壊れて修復されて現存するのが多いですが珍しく建立当時が残っています。
その周辺の建物等も、結果として広い面積で残っています。
彦根は、江戸時代のはじめの井伊直政から始まっており、その研究の中心です。
ただ同時に、そこの外れには関ヶ原の敗者の石田三成の佐和山城跡が石碑程度あるらしいです。
歴史は勝者が作りますが、ゆっくりと石田三成にもスポットが当たりはじめているようです。
落城して焼けて消失して、再建されない城もまた、歴史の舞台です。

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箸墓古墳・再登場

2008年09月27日

奈良県飛鳥は、古代史の宝庫です。
箸墓古墳も話題になったひとつです。
最近、その古墳の周囲に濠跡が発見されて、墓全体の規模が見直されています。
休日等は知りませんが、通常は人もまばらな静かな所です。
明確な墓の敷地は、当然に立ち入り禁止です。
しかし直ぐ周囲は散策コースです。
濠跡は普通の田んぼの中ぐらいでしょう。
自分が歩いている所が、昔は・・・・等と思いをめぐらすと、いくらかのロマンの世界に入れるかもしれません。
基本は歩いて回る場所というのが、良い所です。

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