生活習慣病の予備知識はあったか

現在では、全く予備知識を持たない事は珍しいでしょう。
ただ、10-20年以前では人によってばらつきはあったと思います。
知識を如何にして得たかによって、自分自身に当てはめてどの程度深刻に考えられるかは異なるでしょう。
家族に生活習慣病の者がいるとより具体的に身近に感じると予想します。
(2007/02/10)

現代では各種メデイア等で沢山の情報がされます。
しかし、生活習慣病の経験者としては何かが違うと感じます。
具体的に言うと、「体に良い生活をしていますか」と「現実の仕事に追われた生活」の矛盾に対する対策が何も出てこない事です。
「ゆとり生活」と「能力・競争力の低下」「正社員比率の低下」が両立していない現状に対する生活の仕方を個人の責任に押しつければ、結局は「能力・競争力のない人間」と「過労をいとわず働く人間」に2分化します。
なぜなら全体でバランスを取る必要があるからです。
この2分化を「能力主義」で対応しようとする考えと、「格差社会に次第になりつつある」と問題視する考えがあります。
「能力」よりも「健康的な生活」を選び「格差社会の是正」で保護されれば、残るのは日本社会の「競争力」の低下のみです。
この行き所のなく選ぶ事も困難な状況は、生活習慣病の知識の有無で変わる事が出来ない状況です。
(2007/03/13)

生活習慣病の情報は急速に増加しています。
従って、予備知識を持つ事は普通になると共に、かなり深い内容になりつつあります。
ただメデイアによる、いわゆる「やらせ」報道は情報の増加に逆行するものです。
生活習慣病には、どのような運動が良いとか、どのような食事が良いとか、どのような服やサプリメントが良いとか、情報に見せかけた広告が氾濫して来ます。
また本意は、広告になくても、情報発信競争が起こり、見栄えがするもの・ことや結果を求めがちになります。
本来、生活習慣病の対策や治療や結果は、地味で時間がかかり、極端に表面にでないものです。
それでは、メデイア的には困るので「やらせ」が発生します。
現在、メデイアから得る情報は増えたとともに、その質は逆にバラツキが多くなったと思います。
間違った知識を持ってしまうと、逆に悪くなる事も多いと言えます。
治療は精神的なストレスの治療でも、宗教ではないのですから本人次第です。
いかにも簡単、または楽に出来るように見せるものは今だ存在しないですから、注意して対応するべきです。
(2007/07/25)

生活習慣病は10年以上前は、糖尿病やストレス関連との意識が強かったですが、現在は文字通りにとらえて広い範囲の病気を指すようです。
つまり「生活習慣」が原因でなる病気ですので、旅行や流行性のインフルエンザ等の病気以外をさすといえます。
ただ、外科的なものは省かれる事が多いですが、治療が外科的な事を併用しても原因が「生活習慣」にあれば該当します。
ただ、「生活習慣病」を外科的に直す事は無理と認識しています。
運動不足を室内運動装置等で対応するのは意味を広く取りすぎと思います。
生活習慣の改善なくして、この病気は治らないと思いますが、どうも広く知られるようになってからは、妙な食事・サプリメント療法やエクササイズ方法が宣伝されるようになりました。
これに詳しくても、生活習慣病の予備知識とは呼べないと思います。
何かの助けを借りるのはあくまでも暫定療法で、自分自身で直さなければならないならない事を理解する事が正しい予備知識と思います。
(2008/03/01)

テレビでタレント等の健康診断をして、病気を見つける番組が多数放送されています。
そこでは生活習慣病という項目は殆どみかけません。
あまりにも一般的になり包括的に扱う事は少なくなっているのでしょう。
実際に検査した結果を、具体的に分析して余命に換算して報告する体裁はテレビ的でありますが、該当者的にもインパクトがあります。
そして具体的な対処方法を出す事は有用です。
生活習慣病の予備知識という認識は生まれないでしょうが、必ず食生活を調査して分析する事が含まれます。
また日常生活での運動や喫煙・飲酒の習慣も判定に含まれています。
これは、漠然とした生活習慣という言葉から、具体的な項目をぬき出して分析しています。
従ってより具体的な項目で予備知識を知る事が可能となります。
一般的に、長期に渡る習慣の影響の大きさにあらためて驚かされます。
(2009/10/15)

家族に生活習慣病の者がいるとより具体的に身近に感じる

人はいつしか年齢を忘れがちです。
今は生活習慣病はかなり若いときからかかる事が知られています。
しかし、以前はある程度年齢をとってからとのイメージがありました。
それは、あくまでも目安であるし、個人の生活・ストレス・環境・性格・元々の体の健康さなどの要因でかわります。
私が生活習慣病になったのは、父親よりも10才若い時でした。
明らかに油断があったと言えます。
生活習慣に危険性を感じながらも、まだ大丈夫だろうの意識が有ったことは後で非常な反省点になりました。
30才後半から現在まで20年ちかく、悩まされ続けていますから、いや途中で命を落とさなかった事に感謝すべきでしょう。
(2007/02/13)

睡眠不足や肥満などの体調の変化はゆっくりと起きます。
これば生活習慣病の予兆と言えます。
しかし、これで生活が出来ない・仕事が出来ない事はありません。
また、最近では定期診断がほとんどの企業で行われています。
その結果、要注意は沢山でます。
しかし困った事に人間は慣れてしまいます。
要注意が続くと、それが正常のように思いたくなります。
予兆が有ってもどこまで重要視できるかといえば、実は1度休暇療養まで悪化した経験のある人間だけと言ってもよいでしょう。
はっきり言って(重要)、もし定期診断を受けていてその結果を配布されておれば、それを保管しておいて生活習慣病の診察を受ける時に見せると非常に役にたちます。
しかし、私は2度入院しましたが、最初は全く用意していませんでした。(会社の保険室に原本は保管されていたにもかかわらずです)
一度かからないと、充分な対応が出来ない病気と簡単にいってしまえないです。
反省は後からしか出来ません。
(2007/03/13)

分かっていても変えられない生活習慣は、仕事上避けられません。
あとは、どこでバランスを取るかの問題です。
仕事を変える・やめる事は、たぶん一番の対策でしょう。
しかし、簡単にできることではありません。
それでは、同じ仕事の人は同じ病気になるのかというと、そうではありません。
多残業・ストレスのかかる仕事内容は全ての同じ職場の人に均一にかかる訳ではありません。
それならば、自分の意志で避けられるのではないかとなります。
ここから先は、個人の人生観・仕事観になります。
ただ、当時も今も社会・企業の要請は易きに流れる事は認めていません。
そして、かなりの人間はそれを受け入れる人生観を持っています。
(2007/07/25)

単純に言えば、退職・転職になります。
どちらも簡単にはできません。
ただし、生活習慣病の恐ろしさを理解しておれば判断もかわります。
少なくても、黄色信号で判断します。
赤信号になってからでは、思い切った転換をしてもはたして治療できるかどうかは微妙です。
続けるのも困難、転換するのも困難。
この状態を判断するには身近に類似の例を見ていて、その後の状況を正しく予想できるかどうかで決まります。
私自身は、2回目の入院後に家族から退職・帰郷を言われました。
その時は仕事を続けるほうを選び、6年後に体力の限界を感じた時に48才で退職を選びました。
結果的には良かったですが、6年間のリスクを持った生活の問題点は振り返っても正確に判断できません。
(2008/03/01)

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