生活環境は替えられるのか

結論から言えば、完全な治療手段はなく、如何に生活環境を替えられるかにかかっています。
簡単いえば、仕事を変わる。仕事時間や負担を減らすようにしてもらう事です。
ここにも個人の性格が密接に関わってきます。
ずばり言えば、上記が容易に出来る人、性格の人は元々が生活習慣病にかかり難いのです。
仕事や人間関係に関する過剰な程の真面目でかつ向上心や責任感を持つと、過労やストレスになり易いのです。
逆説的な言い方になりますが、簡単に生活環境を変えられる人は、元々生活習慣病になりにくく、生活習慣病になった人は分かっていても簡単に生活環境が変えられない事になります。
40才台後半に生活習慣病になった父は、役職で退職延長の話を振りきって60才できっちり定年退職しました。
しかし、この病気で体力のよわっていた為に、別の病気で63才で亡くなりました。
私は41才で再発後に医師から、仕事に対するドクター・ストップがかかり、亡くなる直前の父からも退職して転勤先から帰省の了解も得ていましたが、体力が続くまでと仕事を続け、48才に早期退職の募集に応じて、退職しました。
家族も医師も、漸く死の危険と隣あわせの生活が終わると歓迎されてしまいました。
やや複雑です。
(2007/02/28)

41才から48才までの私の生活は、「現状維持」を保つために如何に用心深く生活するかでした。
仕事と実家を離れての生活環境は全く変えませんでした。
一応は、仕事内容や勤務地変更の相談もしましたが、当時の担当職が特殊で変更は困難な事は本人が一番分かっていました。
誰かがいなくなっても変わりの人間がいるのは、仕事では常識です。
別に会社への愛社精神ではありません。
私の父は私の一番尊敬する人物で、かつ一番の目標でした。
結果的には仕事で原因で亡くなったような形になりました。
ただその基本の考え方「差し引きで負債を残さない人生(金銭面の事ではありません)」はわたしの生き方にも全てと同じ影響を与えています。
技術者として、何かをする(特に闘病生活でプラスアルファの新しい事をする事は困難な状況では)には、仕事を辞める事ははたしてそれまでの生活で負債を残さないものであったかどうか何時も考えていました。
結論的には、それからの一番技術者として何かを出来る立場になった状態ではっきり自分で納得のゆく、プラスの結果をやりたいという考えが全てに勝ちました。
生活環境を変える事は非常に困難です。
しかし、意識を変える事は可能です。
それでどれだけの事が出来るかは個人差があります。
何時限界がくるかは分からない状況で、生活環境は変えられなくても意識を変える事で対応する。
これは広い意味では、生活環境をかえていると言えるかもしれません。
(2007/06/17)

私の様に、仕事を継続させたいと思うと本当の意味での生活環境は変えるのは難しいでしょう。
生活環境を変えるために仕事をも変える事ができるかどうかが問題でしょう。
実際、そのような人は多く見てきました。
それは、病状とその原因により異なるでしょう。
仕事上の原因といっても、その仕事自体がいやでストレスになっている場合と、仕事自体は好きでありそのためのめりこんで逆に過労やストレスになる場合があります。
仕事を変えて生活環境を変える事に踏み込めるのは前者です。
仕事以外が原因の場合もあります。
私も原因のひとつは家庭の問題でした。
ただ、全く仕事と無関係の家庭の問題が存在するのかどうかは、私が経験していないのでわかりません。
個人的には存在が信じにくいのは、生活習慣病は個人の経験に依存する事が多いのでやむを得ないでしょう。
結論的には、生活環境を変える状態に自身がいなかったので退職という形でしか最終的にできなかった・・生活環境を変えるのは、非常に難しいが個人的な感想です。
(2008/01/17)

生活環境にしろ仕事にしろ、自分自身の問題と強調しすぎている傾向があります。
確かに生活習慣病は本人が自覚を持って対応する事が必要です。
ただ、生活環境や仕事について考える時に、自分にとってどうかばかりを考えるのは、誤りを犯しやすいです。
なんと言っても、病気なのですから周囲の人にも大きな影響をあたえます。
あくまでも、他のせいにせずに自分自身の問題として考えるという意味で、周囲の事は無視してはいけません。
はっきり言って、周囲にとっても非常に大きな問題です。
本人の生活や仕事の選び方が周囲に与える影響は、非常に大きいです。
最悪の場合は、周囲を同じ病気に巻き込む可能性がかなりあります。
その時に優位なのは気がつきやすい事ぐらいです。
(大きいですが)負担を抱えての生活が周囲を巻き込む事は意外と多いです。
私の場合は、50才前で退職しましたが意外な程に周囲が冷静にかつ安心しました。
その時に自分がどれほど周囲に心配をかけていたのかをようやく理解しました。
それでは遅いというのは、結果であって事前に理解するのは難しいと後で気がつきました。
手遅れにならなくて良かったと今は思っています。
(2008/08/19)

長期の治療を根気よく続ける

もう20年経ちましたが、まだ軽微なしかし無視出来ない状態です。
定期通院と、投薬が主な治療です。
そして、自覚症状を医師とディスカッションするかのような状態です。
わずかな変化があるか、あるいは無いか。
変化があるとすれば、良い方向か、悪い方向か?。
通院間隔も、長くなって来ましたが、その間は自主管理状態です。
定期的でなくても、急変すれば通院して下さいといわれています。
根気よく、注意深くの繰り返しで、時間が過ぎてゆきます。
毎年、昨年との比較を思い出しています。
主治医も、変わりました。
医師も年齢が増えますから、当然です。
(2012/01/16)

加齢の影響を考慮する

長期に渡って、病気とつきあっていると、何かの変化は起きて来ます。
病気自体の変化もありますが、注意が必要なのは加齢による変化の様です。
そして、自覚症状を医師とディスカッションするかのような状態です。
どこかが痛いとか、体の動きが鈍いとか、色々と変化があったとしても、単に年齢が増えた影響も多いらしい。
ようするに、特定の病気加療とは異なるが同時に、年齢も増えて行きます。
それを忘れて、病気と繋げて考えてしまう事には注意が必要な様です。
病気治療をしていなくても、いつかは起きる加齢による変化は、いつかは生じます。
普通に誰でも生じる変化は、病気とは無関係ですが、加齢という事は誰しも未経験ですので、最初は忘れがちです。
加齢の影響の大きなひとつは、病気になりがち、薬の服用でしょう。
生活習慣病の人は、それが早い年齢から始まっているだけで、年齢が増えると他の人と差はなくなります。
むしろ無理をしない、薬を定期的に服用する事に慣れている等、むしろ有利になります。
(2012/03/05)

投薬の副作用を定期検査する

長期療養は、殆ど投薬治療です。
次第に、同じ薬の継続投与が続きますし、効果と回復は緩くなります。
それを、個人のみで管理する事は不可能ですが、同時に本人の自覚症状の管理なしでも不可能です。
そのために、定期通院で可能なだけ同じ医師または、継続カルテで確認して貰う必要があります。
見た目は、状態報告と、同じ薬の繰り返しが多くなります。
しかし、症状から投薬を減らすのが目標ですし、場合によっては逆も有り得ます。
特に前者は、微妙な調整になり、根気と試行錯誤的ですが、回復を目指すには必ず通る過程です。
投薬治療で、注意が必要なのが副作用です。
薬で体質を変えているのですから、全て良い方向の保証はありません。
具体的には、血液検査が行われます。
私の場合は、半年に1回は確認の必要が望ましいと聞いています。
(2014/03/28)

加齢老衰+回復で判断する

加齢が進むと普通は、老衰に向かいます。
もし、長期治療をしていて、現状維持が続いていたらどの様に判断するでしょうか。
平均年齢が高くなっているとはいえ、老衰はあります。
長い治療で、現状維持が続いたら、マイナス思考になりがちです。
長期治療が、老齢になってくると、現状維持をプラスに考えるべきと思います。
病気がなくても、老齢でなにかマイナスが起きても不思議はありません。
ならば、現状維持は、「病気回復-加齢老衰=0」と見ればどうでしょうか。
実は、もっとプラス思考で良いのではないかと思います。
現状維持を続ける事は、実は治療効果や、生活習慣の努力が働いていると考えるのです。
まさか、永久の不死になるわけでありませんので、現実的です。
病気と正しく付き合う事で、老齢になってもトータルで、現状維持を保つ事をプラスに判断しましょう。
(2014/05/27)

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