筒井康隆

天才という言葉は筒井のためにあるに違いないでしょう。
事を小説に限っても、それに必要な才能は全て持っており、その可能性は限界が無いし、評価する事も困難です。
評価する事が困難故に、文学賞の類とは縁がありません。
選考委員が筒井の小説を理解できないのだから全くもっていたしかた無い。
しかし、選考委員がそのようなレベルでよいのでしょうか。
あまりにも賞に縁がない筒井は、賞に一喜一憂する人をパロディ風に「大いなる助走」に書いたが、これまた笑ってよいものやら複雑である。
筒井の思想は、多くは作品の奥に隠れているからです。
テーマも文体も全てが自由奔放で、しかし高い完成度を持っています。

七瀬ふたたび

「火田七瀬」登場作

・家族八景:1972年
・七瀬ふたたび:1975年
・エディプスの恋人:1977年


シリーズとしなかったのは、表面的には統一性がないからです。
火田七瀬は、「テレパシー」という超能力の持ち主です。
家族八景では、七瀬が住み込みで働いた一家が、表面とは異なり個人個人がバラバラで家族らしくふるまう格好をしているだけです。
それが七瀬の超能力を通して明らかになります。
偽装家族にとって、七瀬の存在は家族の崩壊を招くのでなんとか追い出そうとします。
超能力を隠す必要から次の家族に移りますが・・・・。
題名通り8家の、表面に隠された本当の姿を描いた作品です。
そして、他の作品にも共通しますが、人間は超能力の持ち主を排除・迫害することで自分を守ろうとします。
超能力を探し求めて、同時にエスパーを撲滅させたい組織との対決を描く「七瀬ふたたび」はいかにも日本人好みのすたいるで知名度が高く度々映像化されています。
超能力を悪用する人物の登場は、何故人間が超能力者を排除したいと思うかの一つの解答でしょう。
「エディプスの恋人」は、七瀬と少年の恋物語風に進みますが、ついに少年の母と七瀬とを通して、神々が登場してその争いになります。
やはり、超能力は神の世界になるのでしょうか。

感想等

上記で文学賞と述べているのは直木賞のことである。
現実には、「泉鏡花賞」「谷崎潤一郎賞」「川端康成賞」「日本SF大賞」等の受賞はあります。
後発の作家たちがどの程度、筒井作品を読んでいるのかはかなり疑問です。
アイデアと思想と文体の宝庫を前にして影響を受けないとは思えませんがなかなか、筒井ほどの広角な活動は見られません。
まずは、特意なジャンルでの活動を行っているのでしょう。
筒井作品は、表面的なストーリーの面白さ・斬新さ、多様な文体と構成があるのでいわゆる読んで楽しい作品です。
従ってその底辺に流れる思想的な部分は、気づきにくく読み飛ばされる傾向にあります。
それは作者のサービス精神と、無理に押しつけるつもりがないからでしょう。
超能力者を主人公にした、このシリーズでは、超能力という一般人より優れたものを受け入れたくない人間のエゴイズムが明白に出てきます、
そしてそれは人間が必ず持つ劣等感や嫉妬の極端な例でしょう。
主人公が女性で、七瀬の仲間が少年や崇拝者の男性を除くと女性であり、悪徳超能力者が男性なのも意味があるのでしょう。
最終作で少年の母の意志との対決が生じるに当たり、このシリーズは女性が男性の迫害に対抗しながら展開される特徴ががあります。
女性主体は、奥底にもし超能力者たちが生き延びて行くときに必要な女性上位の世界の必要性が暗黙に設定されているのでしょう。

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