伊藤計劃

伊藤計劃(いとう けいかく)は、2007年のデビューで話題となるが、2009年に35才死去した。
長編は実質3作だが、国内・国外含め多くの賞の対象となり、複数受賞した。
日本では少数派の近未来SF小説で、内容的には現実世界を描く手法をとる。
それ自体は、多くのSF以外の作家が試みた手法と言えるが、SFというジャンル特に日本のSFから見ると少数派ないしは、新しい試みとされた。
 
そこには、小説ないしは作家または発表媒体のジャンル分けという、結果的は不毛かもしれないが膨大な著作から読む物を選ばなければならない多くの読者の便宜をはかる方式が絡む。
 
境界の作家とか、ジャンルをまたぐ作家とか呼び、分類の不毛さを分ける事となる。
伊藤計劃は作品が少なく、そのような議論にならない前に不幸にも死去したため、逆にシンプルにSF作家としてのみ現在は扱われている。

虐殺器官

虐殺器官は作者の処女作で、3長編作の1つだ。
デビュー作に付きものの、発表に至る話題も多いが、短時間に基本部を執筆し、小松左京賞に応募し、予選選考ではトップの評価を得たが、小松左京1人で行う最終選考で落選した。
その選評も残っているが、その後予選選考者を中心に出版にこぎ着け、大幅な加筆等を加えて発表・デビューし、高い評価を得たというのが概略の筋だ。
 
比較評価の予選選考と、たぶん絶対選考の小松左京の意見の食い違いは、応募内容をしらない者には不明だし、発表作自体も多くのSF関係者が絶賛するが素直に理解出来る程に簡単な内容ではない。
 
本作で完結しているか、書き足りない・説明不足と言う小松左京の選評のどちらをとるかな、SFだけの読者でない個人には判断が使い無い。
 
テーマが現代社会のテロ問題で、近未来に先進国は対応策を見つけたが、逆に後進国ではますます酷くなる、そこにはそれを勧める存在がいる(ある)と考え主人公が対応を模索して行くと・・・・。
部分的に切り取る梗概では、しばしば見かける小説に思い当たる。
それ故に、多数の切り口で見ても上質の作品とする見方や、世界全体を対象にするSF大作と見る見方や、現代の社会の問題を一つの仮定で近未来に勧めた場合の状態を描く作品とする見方等が入りまじる。
 
同時に大きなテーマを登場人物や、小説中のイベントに置き換える手法が必要でそこに高度の論理性を感じるのは自然となる。

感想等

小説の感想に「読み始めて直ぐに・・・・」となるものがあるが、特に長編小説でそんなにシンプルな内容はない、読み終わって振り返れば最初からその内容に引き込まれていた状態を大げさに表しているだけだ。
ただし、本作は冒頭から殺戮の場面が次々と登場するので、ハードスタートというか、読む方はのんびり感は消える。
戦記小説ではよくあるが、直ぐに「人類の歴史がはじまって以来」だの殺し屋集団を表す内容が自然に登場して差を感じる。
そして、2001年のニューヨークのテロ事件が語られ、そして直ぐに近未来と自分自身の状態が語られ、そのテンションで虐殺が描かれ第1部が終わる。
流石にそこまで読むと、「読み始めて直ぐに・・・・」と似た感想があっても不思議はなさそうだ。
そして、第2部から主人公への命令が明らかになるが、大きく構えたり内的な感情だったりするが、近未来から見た現代の映画や小説が語られるのは読者サービスだろうかも知れない。
第3部以下ではいよいよ任務で標的を狙い、似た事が続いて行く、主人公に影響を与える人物と共に、集落がまるごと簡単に消え去る世界での事が続く・・・。
最後に、主人公が過去を振り返るようなそして次ぎに進むような・・・・あえて、あいまいにしておく。
題名が「機関」でなく「器官」なのかは読み終わるときには自然に理解できる構成だ。

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