光瀬龍

日本を代表するSF作家です。
東洋的な発展と衰退を繰り返す、無情的思想に基づく作品観が特徴とされる。
独自の未来歴史を描く複数の長編と、場所と年代を題名にした多くの作品群が代表作として有名です。
もうひとつが、時代SFのジャンルで、その1つが「時間監視員」シリーズです。
「平家物語」の光瀬版やSF感覚を持つ捕物帳も歴史・時代ジャンルに入ります。
また少年・少女向けの多くの作品も残しています。
SFを中心にした、多数の作品群はその全貌を掴む事が困難な程、数量・質的に多くのジャンルの多数の著書になっています。

時間監視員・シリーズ

長編

・「征東都督府」「幻影のバラード」「所は何処、水師営」

短編

・「鳶加藤を討て」


光瀬龍自身が『「タイムマシン」はアインシュタインの一般相対性理論で否定されている。
従ってタイムマシンテーマは、実現の空想性を楽しむ「タイムマシン・パラドックス」と、過去・未来への乗り物としてのタイムマシンを扱うジャンルで、後者が主流となっているとしている。
当然ながら後者では「タイムマシン・パラドックス」は無視されているが、乗り物としてのタイムマシンジャンルでは過去・未来の犯罪を取り締まる「時間監視組織」が作られる設定になる。
時間監視員・シリーズもその形を取っている。』
(角川文庫:「征東都督府」(1982年)光瀬龍あとがきより、一部変更して引用)と述べています。
「征東都督府」の時代は慶応31年で歴史上の著名人が多数登場します。
突然現れた、「武蔵大湖」の謎が意外な結末に繋がります。
「幻影のバラード」の時代は江戸時代享保で異星人の侵略を防ぐ話です。
「所は何処、水師営」の時代は明治37年日露戦争で、西南戦争で死んだ筈の西郷隆盛が水師営で乃木将軍と対します。
笙子・かもめ・元の主人公たちが、微妙な役割と立場でシリーズ内を動きます。
やや変則的なのが「幻影のバラード」で、他の2作の2倍の分量の作品ですが、前半は他のメンバーを集める場面が描かれます。
しばしば、特殊能力・プロジェクトもので使われるパターンですが、3部作の2作目で使用されるのがやや珍しいと思います。
「所は何処、水師営」の最終場面でアインシュタインが登場して、一般相対論以外の理論を完成させていて自らタイムトラベルを楽しんでいた場面が登場します。
タイムマシン・パラドックスとは異なるジャンルの作品ではあっても、作者に取ってやや気になる事に触れて起きたかったと解釈します。

感想等

光瀬龍を単独のジャンルの作者に分類する事は無理です。
しかし、扱う壮大な過去から未来は多彩な内容で読者に提示されます。
時代物も得意のジャンルですが、それをひとつのパーツとして使用して現代から未来をかけめぐる「時間監視員」シリーズは光瀬のもつ幅広いレパートリーを非常に生かした作品群です。
全編にSFの持つ多くの可能性をちりばめて、それにアクションや本人いわく「忍者小説」の要素も多く含ませた内容は複数のアイデアが融合した傑作群と言えます。
歴史上の人物の登場のさせかたや歴史に「もし・・ならば」を自然に入れた内容は、その後広まった歴史シュミレーション小説と比べてもおとりません。
最後に、作者本人がいう様に一般相対性理論が傍証によって正しい可能性が増えています。
その中では、時間も可逆的ですので、時間を飛び越えた移動は否定されます。
(たとえば、過去に戻ると移動者自身も成長が逆にもどされる)
しかし、まだ物理法則には非可逆性を否定されていない「熱力学・統計力学の第2法則:エントロピー増大の法則」があります。
相対性理論はあくまでも理論であり、否定はされていませんが完全に完成されてもいません。
タイムマシンの存在と、タイムマシン・パラドックスもまだ生き続けていると私は考えます。

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