ジェイムズ・パトリック・ホーガン

1977年に本作でデビューする。
典型的なサイエンス・フィクション=ハードSFです。
科学・技術に関する知識と想像から、夢や空想を思いうかべてそれを、小説世界に創造するという作業は、文字通りSFの出発点です。
その後に、SFは多様化します。
夢や空想は、科学・技術に支配される必要がないのです。
多様化は分類すらも困難な程に、広がりました。それを否定する事も必要ありません。
しかし、原点回帰とも言える、サイエンス・フィクションの作家を待っている人も依然として多いです。
ホーガンの作品は、これらの人を捕らえてしまいます。
そのスケールの大きさと独創性はこの分野の発展を約束します。
科学・技術と言っても、全くしらないと判らない内容ではありません。
ただその関係者はなるで子供のように、SF小説の中で自然に遊ぶのかもしれません。

星を継ぐもの

・星を継ぐもの:1977年
・ガニメデの優しい巨人:1978年
・巨人たちの星:1981年
・内なる宇宙:1991年


太陽系に進出しつつある地球人は、月でチャーリーと呼ぶ事にした不思議な生物の死体に出会います。
類人猿でも無ければ、原始人でもないが極めて人間ににています。
科学者たちはその謎の解明に努力しますが、とうてい辿りつけません。
ただ小惑星が存在している所にあったミネルヴァという惑星の破壊が関係していると考える人もいます。
しかし、チャーリーとミネルヴァの住民が同じかどうかは判りません。
問題が解明しないうちに、木星の衛星のガニメデで、大きな体形の人種?が発見されてガニメアンと呼ばれました。
これらの関係はあるのか?、それは何か。
それが如何に地球人と繋がるのか、意外な結論に辿り着きます。

感想等

何事も原点があります。そこがしっかり順調にはってんして、そこから多様な広がりに意味が生まれます。
サイエンス・フィクションは、決して他を排除するのではなくてSFの可能性を示すものです。
空想と創造はあくなき広がりとロマンをもたらします。
その手法に多様性が生まれても目指す所は変わらないと思います。
人間は謎に興味がありひかれます。
それが、どのような種類であるかは個人で好みが変わりますが、志が高いものは判ります。
サイエンス・フィクションの多くは、大きな謎をテーマとします。
それは必要条件ではありませんが、好む人は多いです。
ホーガンがこのシリーズで解こうとする謎は、地球人の成り立ちの新しい創造であり、人類誕生以前に存在していた文明の存在です。
文明は発展するものという考えは多いですが、長い時間ではそれは先入観にさえなります。
優れた技術を持った文明が滅ぶ・あるいは危機に面するとは、予想したくないですがあるいはその考えは否定されないかも知れません。
決してパロディではないですし、シミュレーションでもありませんが、空想と創造の産物が何故か現状にも考えを影響する可能性は否定できません。
長編の最後に、新たな謎が生まれてそれを考えさせて次のシリーズ作を書くという事は一度はまったファンを離さないという宣言にも見えます。

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